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シモン・ゴールドベルク関連の出来事
2012年

ラドゥ・ルプー

Radu Lupu

ラドゥ・ルプー

護国寺のSGと美代子の墓前に立つルプー夫妻

2012年11月、ラドゥ・ルプーは東京での2回のリサイタルを終えた後、シモン・ゴールドベルクと美代子のお墓詣りをしたいと言い出されました。

ルプー氏が青年期にリーズのコンクールで優勝したとき、審査員の一人であったゴールドベルクは彼の才能に大変な共感をもち、その後モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲のレコーディングを初め、シューベルトなど、若いルプーとの共演を沢山しています。 ルプー氏が美代子に語っていたところによると、若い彼が壮年のゴールドベルクから長いレコーディング・セッションを通して学んだことは何物にも代え難く、その後の彼の音楽に接する姿勢、楽譜を読み透していく力などの大きな柱となっていると、彼のゴールドベルクに対する限りない尊敬と思慕の混ざった暖かい想いを語ってくれたそうです。
以来、ルプー氏と美代子は、齢も近く共通の思いを持って、深く音楽のことを語り合う仲間となっていたようです。

ゴールドベルクがカーティス音楽院で行った公開講座の記録で、様々なテクニックの具体的な説明を箇条書きにしたものを、美代子は箴言集として纏め上げましたが、それを世に出すに当たって、音楽の事、ましてや奏法のことなどを「言葉」で伝える危険性、間違った受け止め方をされる可能性について危惧を抱き、世に出すことを躊躇している旨、ルプー氏に相談方々伝えたところ、彼曰く「こういうものは、結局解る人にしか解らないものであり、解らない人には、どう表現したって違った風に受け取るものだ。解る人にとって、この箴言集はまさに「宝物」なのだから、必ず世に出すべきである」と。
そして、その後も彼は美代子に会う度に、「例の箴言集世に出した?」と訊かれていたそうです。(ちなみに、この箴言集は美代子の死後出版された、『20世紀の巨人 シモン・ゴールドベルク』と『シモン・ゴールドベルク講義録』の中に、「箴言集」として収められています。講義録の方では、シモンが語ったままの英語と日本語の対訳になっています。)

2006年に美代子が急逝した後、ルプー氏は遺族の私に手紙を下さり、「ミヨコが居なくなってしまったことで、自分とシモンを繋ぐ生きたリンクがなくなってしまったことに今更ながら気付き、愕然としている。
ミヨコから富山の病院に入院していると電話をもらった時、自分はそんなに彼女の容体が悪いとは予想できず、彼女の気を引き立てようと思って、バカな冗談を言ったらミヨコが、ひどく喜んで吹き出して大笑いをしたはずみに咳込んで、咳が止まらなくなってしまった。あのことが何らかの原因になってミヨコがこんなに急に他界してしまうことになったのでないと良いけれど…。云々…。」と書いて下さいました。
(ちなみに、この時ルプー氏の発したジョークというのを、私は美代子から富山の病院で直接聞いたのですが、「If you die, I’ll kill you!」というものだったそうです。)

2012年11月14日午後、お墓詣りに東京音羽の護国寺を訪れたルプー氏は、二人の墓前で静かに頭を下げ、何やら口の中で呟いたあと、やおら「鳥の声が一杯だね!」と言って、「昔シモンとロンドンでレコーディングの際中に、急に鳥の喧しい鳴き声が襲ってきて、一時録音を中断しなければならなかったことを思い出す」とのこと。「今のこの鳥の声は殆どがカラスの声ですが、ロンドンではスズメの声だったのでしょうか?」と訊いてみたところ、ルプー氏は大真面目な顔をして「ちょっと待って! 今聞こえるのは、あゝ確かにこれはカラス!でも他の鳥の声もホラ!でも鳥のことはよく判らない」と、あとは鳥の声を描写した曲の話へと話題は移っていきました。
護国寺の中を歩きながら、この静寂な空気はいいねと、秋の午後の長閑なひと時でした。

(大木 裕子)